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伝説のボクサー「モハメドアリ」名言やプロフィールまとめ

 

モハメドアリについて気になることをまとめました。

 

プロフィール

生年月日:1942年1月17日
逝去:2016年6月3日(満74歳没)
階級:ヘビー級
身長:190cm
リーチ:204cm
戦績:(61勝56KO5敗)

 

アリは歴史上最も強いとされるボクサーの一人。

その最大の武器はスピードでヘビー級史上最速のボクサーとも呼ばれる。

マイクタイソンとは時代が大分違うがタイソンよりも速いという声も多い。

★金メダルを川へ捨てた話

アリはアマチュアでのキャリアも豊富でローマオリンピックヘビー級の金メダリストでもある。

 

金メダリストに何の価値もないとして

金メダルを川に投げたとされる話は有名なアリ伝説のひとつ。

 

金メダルを川に捨てた理由には諸説ありますが、人種差別的な部分が理由とされています。

当時の人種差別は今よりも過激で、金メダルを首からぶら下げて店に入れば黒人お断りの店も入れると思ったが、金メダルを首からかけて入店したアリは結局黒人だという理由で追い出されたことで激怒したという話もあります。

 

★人種差別との戦い

アリはボクサーとしても偉大ですが、人種差別と戦った英雄としても偉大とされます。

ベトナム戦争の徴兵拒否も有名な話です。

 

70年代のボクシングヘビー級はアリをはじめ、フォアマン、フレイジャー、ノートンとボクシングファンからすればこの時代以上に熱かった時代はないとも言われます。

 

人種差別と戦い続けたアメリカの英雄も2016年に74歳で亡くなりました。

1984年にはパーキンソン病と診断され病との戦いもありました。

1996年には病でありながらアトランタオリンピックで聖火ランナーも努めています。

★名言

アリは多くの名言を残しています。

今では当たり前のようになっている格闘技の試合前の罵り合いですが、これもアリが最初と言われます。

格闘技はあくまでもスポーツですので、礼儀正しくやる選手が多かった中でアリはビッグマックで相手を挑発したのです。

 

『蝶のように舞い、蜂のように刺す』は有名なセリフですが、

私が好きなアリの名言は・・・

 

『リスクをとらない人生は何も成し遂げることはできない』

アリが言うと心に響きますね!

 

他にも

「人間が困難に立ち向かう時、恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ。私は私を信じている。」

「50歳になった時、20歳の時と同じように世界を見ている人間は人生の30年を無駄にしたということだ。」

などは響きますね。

 

★アントニオ猪木との一戦

アントニオ猪木との戦いは伝説になっていますね。

当時は今のように総合格闘技のようなものはありませんし、そのはしりともされる異種格闘技戦のようなこともほとんどありませんでした。

空手家は空手家同士で戦うし、レスラーはレスラー、当然ボクサーが他の競技者と戦うなんてことはあり得ませんでした。

事の発端はアリが「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?」と発言し、アントニオ猪木が「100万ドルに900万ドルを足して1000万ドルの賞金を出す。試合形式はベアナックルで殴り合い。日時、場所は任せる」と返したこと。

 

その後アリは来日して会見でも猪木を挑発し、いつものようにビッグマックのパフォーマンスをした。

猪木はガチで仕上がており、アリはエキシビションのようなものだと思っていたらしく、猪木の公開練習を見たアリは突然試合をキャンセルしたいと言い出したが、猪木サイドはどんな形でも良いので試合がしたいと提案した。

 

最終的に猪木がかなり不利なルールで戦うことになる。

猪木は立った状態での蹴り禁止、肘禁止、投げ禁止、関節禁止など、レスラーとして使える技がほとんど禁止とされた。

試合は常に猪木が寝そべり、アリのももに蹴りを入れて硬直するという流れが続き、お互いに何もできないものだった。

 

これがいわゆる世に言う「猪木アリ状態」

 

今では硬直状態の比喩表現として使われることもあるぐらい影響を与えている。

この戦いは「世紀の凡戦」として批判されたが、この手のビッグマッチで成功した例は過去も現在もまったくないと言える。

格闘技の楽しみ方というのも改めて考えさせれる一戦となった。






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