村田諒太(むらた りょうた)
プロフィール
生年月日: 1986年1月12日
国籍:日本
~学歴~
南京都高校⇒東洋大学
階級:ミドル級
身長:182cm
村田諒太の奥さんは?
村田選手は早くから結婚されており、すでにお子さんも2人います。
奥さんの名前は「佳子さん」というそうです。
ネットでは壇蜜さんに似ていると話題になっています。
確かにタイプ的には壇蜜さんみたいに色白で細身な美女という感じです。
奥様は京大出身で村田選手が東洋大学の職員時代の同僚で、佳子さんは村田選手よりも年上なので最初は先輩後輩の関係だったみたいですね。
いわゆる職場恋愛ということですね^^ うらやましい
2人の距離が近づいたきっかけは飲み会だったようですね。
そう考えると、会社の飲み会なんかも誘われると面倒に思えてしまいますが、よい出会いのきっかけになるかもしれませんね。
まぁ村田選手のようになかなか身近に綺麗な同僚の女性がいる人も少ないとは思いますが(^^;
村田選手は2012年のロンドンオリンピックのボクシング金メダリストですが、
このときには佳子さんも『村田諒太の嫁』としてメディアによく出ていましたが、村田選手がプロ転向後はメディアの露出は少なくなっています。
メディアに出ると何かと叩かれたりしますし、佳子さんのように綺麗で学歴もあって、
おまけに夫はボクシングの世界チャンピオンという絵に描いたような勝ち組ですから、
結婚できないアラサー女子からあたりから嫉妬の嵐でボロカス叩かれてしまうのは仕方ないような気もします^^;
村田諒太の子供
村田選手にはお子さんが2人いるようですね。
世界戦の特集番組などでも子供と公園で遊ぶ姿などが流されていました。
お子さんは顔出しなどはしておらず、顔にはモザイクが入っていました。
第一子は男の子で2011年生まれ
第二子は女の子で2014年生まれ
だそうです。
村田選手はイケメンのイクメンとしても話題になっていますね。
自らのもボクシングで忙しいのに、子供の世話もしっかりとしており本当に素晴らしい方です。
高校時代の恩師
村田選手は高校時代の恩師の名前を度々口にしていますね。
恩師の名前は「武元前川」さんというそうです。
よく竹元先生、竹元先生と名前を出しています。
高校時代に道をそれかけたときにボクシングの道に導いてくれたり、ボクシング部時代に仲間とうまくいかないときに指導してくれたりと、若き日の村田諒太を支えてくれたのだとか。
なんだか、スラムダンクの三井寿と安西先生のエピソードみたいで少しうらやましくも思えます(笑)
村田選手はこのときの教えがあるからこそ、今の活躍があるとよく言っています。
大学時代、オリンピック選手(アマ)時代などは金銭面でも大変な時期などもあり、高校時代の恩師らがお金を集めて村田選手を支援したというエピソードもあります。
魔娑斗とのエピソード
元k-1の世界王者の魔娑斗氏と村田選手は昔よくスパーリングをしていたというエピソードがあります。
基本的な話ですが、2人の専門は村田諒太はボクシングで、魔娑斗はキックボクシングです。
あまり格闘技を知らない人だと「キックボクシングだってパンチは打つし、ボクサーとそこまでパンチの技術に差があるのか?」と思いがちですが、
キックボクシングとボクシングでは距離感などの差もありますし、パンチのみに特化しているボクサーのパンチと比べると、キックボクサーのパンチは基本的に劣ります。
そんなボクサー村田が18歳のときに魔娑斗と初めてスパーリングをしたときのエピソード
最初村田は「相手はキックボクサーだから大丈夫」と思っていたが、実際にスパーすると魔娑斗のテンポ、スピードの早さに驚いたという。
当時18歳でプロキャリアのない村田選手とはいえ、高校の大会では敵なしの強さでしたし、当時からオリンピックが狙える逸材でした。
しかもスパーリング自体は村田に合わせてのボクシングのスパーだったわけですが、それでも18歳当時の村田諒太はキックボクサーの魔娑斗に翻弄されたとか。
村田曰く「k-1は3R制だからボクシングと比較してテンポが早い」ようです。
一方の魔娑斗も「村田が来る日は憂鬱で仕方なかった。村田君はパンチが強くっていつも倒しに来るから嫌で嫌で。次の日は首が痛かった(笑)」と当時のことを語っています。
村田は当時の『ボクシングよりもk-1の方が上』という風潮が嫌で魔娑斗さんに敵対心のようなものがあったみたいですね。
村田諒太を相手にもボクシングのスパーで一方的にできたくらい全盛期の魔娑斗は強かったという魔娑斗の伝説エピソードともいえますね。